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宝塚の歴史と常に進化を繰り返してきた痕跡


2014年に創立100周年を迎えた宝塚歌劇団は、最初は小さなものでした。今では情報化社会となり、世界にまで名を響かせている宝塚の存在は、日本の芸能にとって”至宝”であって切り離せないものとなっています。

100年前は小さな湯の町の少女歌劇団でした。戦時中の芸能の闇の時代を経て大きく強くなっていく。戦後の開放感と重なり合い今の宝塚歌劇団を形作るシステムの成立と話題の演目の登場、スターたちの台頭が人気を着実に高めていきました。映画時代は映画と歩み、テレビ時代はテレビと、常に基本的な概念を保ちながら時代の変化と寄り添うことで、現在も宝塚は2002年から開始したCS放送の「TAKARAZUKA SKY STAGE」を開局するなど、常に進化を繰り返しています。


阪急電鉄創立者でありながら宝塚の生みの親でもある小林一三は、1914年にのちの宝塚歌劇団となる当時・宝塚少女歌劇養成隊を結成ししたのが始まりとなっています。少女たちと宝塚新温泉のプールを改造によって生み出された小さな劇場によって、現時点で100年以上に及ぶ壮大な船出の第1歩は始まっています。

創立からわずか1年後の1915年には、東京における初の公演を行い歩みを続けていきます。1919年には宝塚音楽歌劇学校が創立され、現在に続くスターたちの後輩となる多くのスター候補の少女たちが夢を見て叶える場所になっています。1921年になると公演数や在籍者の増加に伴って、花組と月組の二つの組に少女たちを分けて現在につながるシステムが形成されています。1924年には雪組の新設されたと同時期に、約3,000人の収容が可能な宝塚大劇場が建てられています。


(c) .foto project


その後も宝塚歌劇団は挑戦を続けていきます。宝塚歌劇団には演目を支えていく多くの演出家が育っていきます。1927年には、岸田辰彌が欧米の留学から持ち帰り、経験を生かしたパリをモチーフにした演目を制作して好評を得ています。さらに1930年に白井鐵造が制作した演目の主題歌「すみれの花咲く頃」は、当時の宝塚歌劇団を知る上でも象徴的な内容となっています。

1932年に、1933年から月組組長となる門田芦子が断髪をしたのをきっかけてして、断髪の現在につながる男役の原型が生み出されています。1934年には東京宝塚劇場が開場を始めて、宝塚歌劇団の人気はさらに高まっていきます。1938年に、ドイツからイタリア、ポーランドを巡る初の海外公演を行われ、その翌年にはアメリカ公演も実施して大成功を収めています。

植田紳爾が戦後には1974年に「ベルサイユのばら」や1976年に「風と共に去りぬ」を発表すると、映画やテレビアニメ、漫画などと相乗して話題を呼び、観客動員数を増やして一躍の宝塚ブームを作り出しています。また、宝塚の卒業生は、テレビドラマや映画、舞台や歌手などで評価を受ける人材を現在も数多く輩出しています。

これからの世の中も宝塚歌劇団は、常にファンとともに歩み、国民の心に寄り添いながら夢を振りまいていきます。苦しい時代も進化を繰り返してきた経験は、現在にも生かされており、これからも時代の変化に対応していくことでしょう。

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